思ってたのと違った『永遠に僕のもの』
『永遠に僕のもの』を見た。115分という映画として妥当な時間の中、もう終わってくれと思う瞬間が何度もあった。
1971年のアルゼンチンのシリアルキラーを描いた本作。タイトルからてっきりボディパーツや遺品の収集癖があるのかと思ってたから、思ってたのと違った。
そもそも主演のロレンソ・フェロが美少年扱いなのが納得いかない。
途中からストレンジャー・シングスのダスティン役ゲイテン・マタラッツォにしか見えなかった。
平山夢明の『恐怖の構造』に、狂人と変態の違いが書いてある。
『羊たちの沈黙』狂人ハンニバル・レクターは殺人鬼でありながら人気があるのに対し、変態バッファロー・ビルはなぜ許されないのか。
それは変態のベースが過剰ナルシズムにあるからだという。変態は自分の弱点や欠点を容認し、他人にまで「これができないの、でもごめんね!」とそれを求める。
一方狂人は、自分の障害となるものに、とことん突き進む。その障害の中には己の弱さも入っており、狂人は自分の中にある恐怖や障害を克服しようと動く。
そう思うと今回のカルリートスは変態にあたる。
表情を変えて表現するが如く、感情を銃を用いて表す。
一見狂人のようだが、彼は自分のためだけに殺人を犯す。
ゴッホが耳を切り落としてまで絵を描き続けたような強さは、変態には備わってないのだ。
シリアルキラーものは好んで見てきたけれども、わたしが今回のカルリートスを愛せなかったのは、ここに理由がある気がする。
夏も終わりが近づく。