映画で美味しい思いがしたい。

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に想いを馳せて

先日『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見た。

 

わたしが中学生の時に、webサイト「殺人博物館」で出会ったチャールズ・マンソンシャロン・テート 事件を題材にした映画だ。

 

ちょうど50年後の2019年8月9日に見られたのは、いい思い出だ。かの日の殺人事件スクラップ少女も喜ぶだろう。

 

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監督は、クエンティン・タランティーノ。もしも架空のリック(レオナルド・ディカプリオ)とクリフ(ブラッド・ピッド)が、1969年にいたら、シャロン・テートマーゴット・ロビー)はどうなっていたかを描く。

 

ストーリーが実際の事件とフェイクを織り交ぜて進んでいくように、映画は、本物と作り物、真実と嘘、現実と理想をミックスして展開する。

 

物語の中のリアルとフェイクもあれば、映画全体と現実世界のメタ的要素もあり、このカオスさが心地いい。

 

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また、マンソンファミリーの配役も素晴らしく、脇毛の少女プッシーキャットを演じたマーガレット・クアリーほか、スクィーキー役にはダコタ・ファニング、個人的推しのシドニー・スウィニーなど、ハリウッドの実力ある若手が名を連ねた。

 

役者がいいだけでなく、マンソンファミリーの登場シーンが忘れられなかった。

 

リックとクリフとハリウッド物語が描かれる中、じわりと切り替わり、マンソン作曲の「Always is all is forever」を口ずさむ少女たちがやってくる。

 

あの色の濃いタランティーノ節というと伝わるだろうか。畳み掛けるような会話劇が繰り広げられる中で、少女たちの歌声が、ふわりと空気を変えるのだ。

 

暑い夏のハリウッドを映し出しているのにも関わらず、どこか物憂げで覇気がなく、なのに彼女たちは青い春の真ん中にいる。

 

・リックとクリフのどたばたハリウッド記

・マンソンガールズの異常な自由

・未来を約束されたシャロン・テートの輝く日々

 

まるで交わりそうにもない彼らたちの日々が、じわじわと水面に浮かべた絵の具のごとく広がり混ざり合う様子は実に痛快だった。

 

悲しき繁栄と避けられぬ衰退が、おとぎ話を色付けていく。

 

ノンフィクションだろうと、映画は基本的には嘘をつく。

嘘といったら悪く聞こえるが一字一句が事実に基づいているわけではない。

 

でもわたしたちは、この嘘たちに一喜一憂し、嘘たちを大いに受け入れるのだ。

 

多様性や誠実さが重んじられる世の中、ルールを守らなければという意識から他人の嘘や不誠実を許せない人が増えたように見える。

 

嘘は果たして悪なのか。映画は常に正しさが必要なのか。

 

あと1本で引退を明言するタランティーノは、過去の事実と、現在の嘘で、未来の希望を紡いだ。

芸術に鎖がかけられている今、映画には何ができるのだろう。