映画で美味しい思いがしたい。

好きなものを好きっていいます

思ってたのと違った『永遠に僕のもの』

『永遠に僕のもの』を見た。115分という映画として妥当な時間の中、もう終わってくれと思う瞬間が何度もあった。

 

1971年のアルゼンチンのシリアルキラーを描いた本作。タイトルからてっきりボディパーツや遺品の収集癖があるのかと思ってたから、思ってたのと違った。

 

そもそも主演のロレンソ・フェロが美少年扱いなのが納得いかない。

 

途中からストレンジャー・シングスのダスティン役ゲイテン・マタラッツォにしか見えなかった。

 

平山夢明の『恐怖の構造』に、狂人と変態の違いが書いてある。

 

羊たちの沈黙』狂人ハンニバル・レクターは殺人鬼でありながら人気があるのに対し、変態バッファロー・ビルはなぜ許されないのか。

 

それは変態のベースが過剰ナルシズムにあるからだという。変態は自分の弱点や欠点を容認し、他人にまで「これができないの、でもごめんね!」とそれを求める。

 

一方狂人は、自分の障害となるものに、とことん突き進む。その障害の中には己の弱さも入っており、狂人は自分の中にある恐怖や障害を克服しようと動く。

 

そう思うと今回のカルリートスは変態にあたる。

表情を変えて表現するが如く、感情を銃を用いて表す。

一見狂人のようだが、彼は自分のためだけに殺人を犯す。

 

ゴッホが耳を切り落としてまで絵を描き続けたような強さは、変態には備わってないのだ。

 

シリアルキラーものは好んで見てきたけれども、わたしが今回のカルリートスを愛せなかったのは、ここに理由がある気がする。

 

 

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夏も終わりが近づく。

新宿紀伊国屋下の『jin jin』で、冷製ジェノベーゼが食べられたので、もう悔いはない。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に想いを馳せて

先日『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見た。

 

わたしが中学生の時に、webサイト「殺人博物館」で出会ったチャールズ・マンソンシャロン・テート 事件を題材にした映画だ。

 

ちょうど50年後の2019年8月9日に見られたのは、いい思い出だ。かの日の殺人事件スクラップ少女も喜ぶだろう。

 

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監督は、クエンティン・タランティーノ。もしも架空のリック(レオナルド・ディカプリオ)とクリフ(ブラッド・ピッド)が、1969年にいたら、シャロン・テートマーゴット・ロビー)はどうなっていたかを描く。

 

ストーリーが実際の事件とフェイクを織り交ぜて進んでいくように、映画は、本物と作り物、真実と嘘、現実と理想をミックスして展開する。

 

物語の中のリアルとフェイクもあれば、映画全体と現実世界のメタ的要素もあり、このカオスさが心地いい。

 

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また、マンソンファミリーの配役も素晴らしく、脇毛の少女プッシーキャットを演じたマーガレット・クアリーほか、スクィーキー役にはダコタ・ファニング、個人的推しのシドニー・スウィニーなど、ハリウッドの実力ある若手が名を連ねた。

 

役者がいいだけでなく、マンソンファミリーの登場シーンが忘れられなかった。

 

リックとクリフとハリウッド物語が描かれる中、じわりと切り替わり、マンソン作曲の「Always is all is forever」を口ずさむ少女たちがやってくる。

 

あの色の濃いタランティーノ節というと伝わるだろうか。畳み掛けるような会話劇が繰り広げられる中で、少女たちの歌声が、ふわりと空気を変えるのだ。

 

暑い夏のハリウッドを映し出しているのにも関わらず、どこか物憂げで覇気がなく、なのに彼女たちは青い春の真ん中にいる。

 

・リックとクリフのどたばたハリウッド記

・マンソンガールズの異常な自由

・未来を約束されたシャロン・テートの輝く日々

 

まるで交わりそうにもない彼らたちの日々が、じわじわと水面に浮かべた絵の具のごとく広がり混ざり合う様子は実に痛快だった。

 

悲しき繁栄と避けられぬ衰退が、おとぎ話を色付けていく。

 

ノンフィクションだろうと、映画は基本的には嘘をつく。

嘘といったら悪く聞こえるが一字一句が事実に基づいているわけではない。

 

でもわたしたちは、この嘘たちに一喜一憂し、嘘たちを大いに受け入れるのだ。

 

多様性や誠実さが重んじられる世の中、ルールを守らなければという意識から他人の嘘や不誠実を許せない人が増えたように見える。

 

嘘は果たして悪なのか。映画は常に正しさが必要なのか。

 

あと1本で引退を明言するタランティーノは、過去の事実と、現在の嘘で、未来の希望を紡いだ。

芸術に鎖がかけられている今、映画には何ができるのだろう。

 

朝ドラ『なつぞら』夕見子サマにゾッコンになってしまったわ

4月から始まった朝ドラ100作目の記念すべき『なつぞら』。

今回の主人公は、『ひみつのアッコちゃん』『魔法使いサリー』などの奥山玲子さんがモデルと言われており、主演の広瀬すず演じる奥原なつがアニメーターを目指すという物語です。

 

戦争孤児となったなつは、父親の戦友・藤木直人に十勝へ引き取られるのですが、その生活がなんと羨ましいこと。

北海道で暮らす広瀬すずの周りには、吉沢亮岡田将生工藤阿須加、犬飼貴史、山田裕貴と国宝級イケメンたちが集結します。これぞ王子が大渋滞。

最終回は焼け野原で絶望の中でなつが目を覚まし、これまでの話は全部夢だった……そんな鬱展開でもおかしくないほど、これから待ち受ける物語は楽しみな要素しかありません。

 

しかし多くの朝ドラは第2週目の終わりくらいまで、子役パートが続きます。

まだまだ若い衆が登場しないため

ひとり『夕陽のガンマン』こと草刈正雄サマ演じる引取先の柴田家のお祖父様・泰樹の渋い魅力に注目が集まるばかりですが、

わたしは柴田家の長女・夕見子サマにシンパシーを感じてならんのです。

 

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夕見子サマは、富士子(松嶋菜々子)と剛男(藤木直人)の美人夫婦の長女です。

子役パートは『人魚の眠る家』にも出演していた荒川梨杏ちゃんが演じます。

 

やっと戦争から帰ってきたお父さんは、戦友との約束のために一緒に連れて帰ってきたなつに付きっきり。

新入りへの警戒心と嫉妬が入り混じり、なつを邪険に突き放します。

 

一方なつは、孤児院から引き取られてきたので、「いい子」であることに徹します。

もともと兄弟想いの凄く優しい子なのですが、無条件で引き取ってくれた柴田家への「感謝」と「遠慮」が心に、薄くて厚い壁を作ります。

 

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第1話の初対面から夕見子サマは一番、なつを拒絶します。

戦争から戻ってきた剛男の隣に立つなつを、富士子や長男の照男、泰樹は見つめるのですが、夕見子サマは首だけをなつの方を向け、すぐに視界から外してしまうのです。

肩越しになつを見る。

ほんとちょっとした仕草なんだけど、体の向きが違うだけで印象が変わるので、役者さんってすごいね。

 

そしていきなり第2話で事件が起こります。

夕見子サマは、なつに服をあげるようにお母さんに言われます。

それまで大人びた、(あくまでも大人びた)冷静な口ぶりだった

夕見子サマが、「やだ!やだ!やだ!」と駄々をこねて拒否するのです。

 

そこで彼女が言った言葉が以下。

 

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「ずるい」

「その子がかわいそうなのは、わたしのせいじゃないもん」

「なんで、わたしが我慢しなくちゃなんないの?」

「その子は“勝手に”かわいそうになってるだけだべさ!」

 

わたしのLINEかと思った……。

 

凄くないですか?9歳。この言葉から今の今まで虜です。

このシーン実はあんまり夕見子サマのお顔が映りません。

なつが、夕見子サマの言葉を受けて、心を痛める顔にスポットライトが当たります。

しかも上の訴えも、なつを直接見てじゃなくて、お父さんとお母さんにぶつけるんですよね。

 

夕見子サマ、なっちゃんの方を見られないのは、

なっちゃんが嫌いで目を合わせないんじゃなくて、自分の考えが正しくないと心の何処かでわかってるからなんですよね、きっと。

 

夕見子サマ、本当に心は優しいんです。

でもね、北の大地で感情までのびのび育ってしまったものだから、

パパを取られるかもしれない不安と嫉妬が爆発しちゃったんだよね。

 

その後、第4話でお父さんと2人で話す機会が設けられます。

戦争孤児になったなつに夕見子を重ねて、連れてきてしまったんだと、父・剛男は明かしました。

 

「夕見子は夕見子のまま、あの子を受け入れてほしいと、父さんはそう願ってるだけだ」

 

夕見子サマは、この言葉を聞いて、なつと一緒に暮らすことを理解します。

ここの剛男、思ってるじゃなくて願ってるを使ったのがすごく丁寧で愛情を感じますよね。

引き取ったのは自分のエゴかもしれないから、押し付けるのではなく

「こうなったらいいな」を伝えるだけに留めました。

 

急すぎる環境の変化を上手に処理できなくて

なつのほうが「かわいそう度」が勝ってるから愛されてるんだっていう

歪んだ結論を出した夕見子サマにとって剛男のアプローチはとても響いたことに想います。

 

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こうして夕見子サマは、なつに優しく接しようとするんだけど

ここからがまた大変で……。

 

【夕見子サマ】

・勉強が好き

・牛乳が嫌い

・嫌と思ったらはっきり言う

 

【なつ】

・仕事が好き

・牛乳も牛も好き

・相手の意見も受け入れる

 

という真逆の性格のなつが攻略できずに苦労するんです。

 

「無理して働かなくていいよ」って言ったら

「別に無理してないよ!」と言われるし

 

学校でいじめっ子にいじめられてるのに

なぜか言い返さず発言を認めて笑うなつに

 

「もっと言い返せばいいじゃない」と言ったら

「言い返してるでしょ」と言われるし……。

 

なつは本当のことを言っているだけで

悪気があって「NO」を突きつけているのでは決してないのだけど

自分の優しさ(と思っている行為)が否定され続けるので

とうとう夕見子サマはまた怒ってしまいます。

 

この歯がゆい関係……!

しびれを切らした夕見子サマは、なつにこう伝えます。

 

「はっきり聞くけど、あんたはこの家にいたいと思ってる?それとも仕方なく?」

「わたしは別にどっちだって良いのよ。ただ聞いておきたいだけ。はっきりしときたいのよ、あんたの気持ちを」

「だってそうじゃなきゃ、あんたをどう受け入れていいかわかんないんだもん」

 

ほんとはっきり聞いたわね、夕見子サマ。

でも返ってきた答えは「それなら、無理に優しくしなくていいよ(ニッコリ」。

 

そうじゃないよね。白黒はっきりしてほしかったんだもんね。

でもなっちゃんも悪くないんだ。

「無理に優しくしなくていいよ」は、「無理せず、そのままでいて」っていう

お父さんの言葉と同じようなニュアンスだったんだけど

「優しさ、いらないよ」って言われたように夕見子サマはきっと聞こえたんだよね。

 

接し方がわからず拒絶してたのに

いざ接しようとすると拒絶され(たような気になっ)てしまって

夕見子サマのやるせなさは、また怒りに変わります。

 

何を考えてるのか夕見子サマにはわからないなつですが、いよいよ感情が爆発する事件が起きます。

いつまで経っても手紙をくれない東京の兄の元へ行くため、なつが柴田家から家出をするのです。

 

しかしまあ小さな女の子の足ですので、第9話で河原で座っているところを柴田家に見つかります。

亡き父からの手紙を読んだ直後、一家揃った柴田家の姿を見て、なつは、戦争の悔しさをぶちまけます。

 

「どうして、あたしには家族がいないの」

「バカヤロー!チクショー!」

 

薄くて厚かった「いい子」の壁がパリンと割れた瞬間です。

「もっと怒れ!」泰樹は強く抱きしめます。

このシーンはきっと、これからダイジェストで語り継がれるくらい良いシーンでした。 

 

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心配した顔で静かに様子を見つめていた夕見子サマですが、

家族と一緒に帰路につく頃になると、なんだか嬉しそう。

だって、やっと理解したいと思える人のピンク色をした内側が見られたんだもん。

とても切ない場面だけど、それを夕見子サマが目の当たりにできたのって、彼女にとっても大きな経験だったよね。

 

その後、泰樹と付き合いのある菓子屋の「雪月」で

アイスクリームを食べるシーンがあるのですが、

牛が大嫌いな夕見子サマが搾乳に誘われます。

 

そこで一言。

「絶対にヤダ。わたしを巻き込んだら……家出するから(笑)」

といきなりなつの家出をいじるのです。

 

夕見子サマ〜〜〜!

ツンケンしてるから意地悪なように見えて実はとっても思いやりの強い子で

なつの家出も笑いに変えてあげられるんですよね。

 

で、面白いのはこの夕見子サマの性格は、母・富士子の受け売りだということ。

「なして、男って自分の身に置き換えて考えることしかできないのさ〜」

ってちょっと男の人を呆れたように見ている富士子のように

夕見子サマは「男って考えることがほんとに狭いよね」って言っちゃうんです。

ほんと可愛くて、愛おしい。

 

「めんこい」って褒められたら「知ってる」って答えるのも富士子イズムで、

家で見ている母の姿をそっくり映し出したのが夕見子サマなんです。

勉強が好きで一番しっかりしているように見えて、最も子供らしい子だわ。

 

だから夕見子サマがなつに抱いている「いい子すぎる気持ち悪さ」って

同じ世代の子供だからこそ感じられる点だなと思うのと同時に

視聴者が感じるであろう違和感をちょうどよく指摘して中和してくれるのが夕見子サマの役割なんだなと思います。

 

これから成長して福地桃子にバトンタッチされるわけですが

もう子供夕見子サマがいなくなってしまうのが、とっても寂しいわ。。

 

牛乳が飲めなかったり、

「できない自分」が嫌いで他者への怒りに感情をすり替えてしまったり、

そういう不器用な部分が自分と重なるから、きっとこの子が好きなんだろうな、わたし。

(マインドが9歳なのに気付かされて、同時に恥ずかしいけど)

 

公式ホームページでは

 

なつと同じ年の長女。なつに初めはわだかまりを感じるものの、一緒に暮らしていく中で、お互いに悩みを打ち明けられる、本当の姉妹のようになっていく。大嫌いだった牛乳も、なつのおかげで飲めるようになる。

登場人物|連続テレビ小説「なつぞら」|NHKオンライン

って書いてるから、2人で一緒に成長していくのでしょう。

 

わたしは社会人になってからも牛乳は飲めないけど

ヨーグルトまで食べられるようになったわよ。

もしもあなたがわたしに似ているなら

これからあなたはきっと、「できない」「わからない」に

「大嫌い」「腹立つ」のラベリングをして拒絶することが何度かあると思うけれど

いくつもの「大嫌い」を乗り越えて、いつまでもめんこいままでいてね。。

ジェームズ・ガン監督の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』復活劇を解説!

realsound.jp

 

RealSound映画部にて、ジェームズ・ガンの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』監督復活劇をまとめました。

 

『生きてるだけで、愛。』の寧子ごとく、延々と眠れるわたしですが、「ジェームズ・ガン、復帰してるよ!!」と言われた朝は、さすがに飛び起きたものです。

 

Twitterとかメディアでは、個性を尊重したり、多様性を重んじる意見がすごく支持されるのに、現実では表に立つ人のみならず生きている全員が聖人であることを求められてるじゃないですか、今。

 

 

もちろん誰かを傷つけたり権利を侵害するようなことは引き続き裁かれるべきなのですが、

1つの過ちが死罪くらいの重みを含んでいて、救済措置が薄まってきているなあと日々感じるのです。

 

現代ならではの“生きづらさ”って何が原因なんだろうと、よく考えるんですが

皆さん、いい意味でも悪い意味でも「正義」を持ちすぎてるような気がするんですよね。

 

 

ジェームズ・ガンの過去の発言はとても擁護できたものではありませんが、

でも自分のTwitterとかLINEとか、現実での会話とか、ほんと反省すべきことだらけですよ。

 

こういう過去の発言で叩かれる事象を見る度に

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

が無限ループするわよ。。

 

ただ、記事内でも触れましたがジェームズ・ガンが素晴らしかったのは、反省の姿勢を崩さなかったんですよね。

 

同じく過去の同性愛発言が掘り起こされ、

アカデミー賞の司会者を降板したケヴィン・ハート

「ツイートを謝罪するか降板か」を言い渡されて、「降板」を選びました。

 

LGBTQコミュニティへの謝罪はしましたが、

「今の自分は昔と違う」と過去の発言を取り下げるようなことはしませんでした。

 

彼の対応も正解です。

わたしは過去の発言より今の姿派なので、彼の態度を非難しません。

 

でも、正直言うとアカデミー賞の司会は代えがききます。(なんなら、司会者不在のほうが視聴率が良かった……。)

一方ジェームズ・ガンに求められていたのは「復活」です。

 

キャスト、スタッフそしてファンに愛されていた彼が辿るべき道の

一番近い行き方が「反省」でした。

 

正直、ディズニーの処分から当時復活は絶望的で

誰もが『スーサイド・スクワッド』に期待していたことでしょう。

 

でもこうして、過去の過ちを認め、反省し、希望の光が差し込む例ができたことは

一連の騒動を巡って一番良かったことではないでしょうか。

 

降板から復帰まで、ガンの代わりの監督は決まっていなかったそう。

 

「長い間 必死に探し回ってるものって、すぐそばにあるのに気づかないだけ」

上記はピーター・クイルのセリフですが、ほんとリアル『GotG』な結末になりましたね〜〜。