クズでも頑張れる

やるときゃやる

寒い夏ももう終わり。

8月は新しい仕事をいただき、

気の休まらない月だった。

 

寝る直前まで作業し

交感神経はビンビン高まりっぱなしで

起きてもパソコンに向かう生活が

精神的にも身体的にもキツかった。

 

お盆も実家や、

母方の祖母が住む愛媛に行きたかったが

残念ながら叶わなかった。

 

8月21日、両親に弱音を吐いたメールを送る。

それでも優しく励ましてくれて

さあ、9月に会える日まで頑張ろうと

少し回復した。

 

8月23日、いつものように

朝6:55に起きて、

『あと5分』を2回する。

 

7:08、母から

父方の祖母が息をしていないと連絡。

8:50ごろには医者から死亡の診断を受け、

テレビ電話で、永眠する祖母の顔を見た。

 

急いで支度をして、兵庫に戻る。

 

祖母は92歳の大往生で暖かく見送られた。

わたしもなぜか涙は一粒も出なかった。

みんな泣いていたけど

なんだか悲しいというより

お疲れ様という言葉を送りたい気持ち。

 

喘息を患いながら6人の子供を育て

視力を失っても歩けなくなっても

痴呆がきても時を重ねた祖母の逝去に

寂しさは生まれなかった。

花に囲まれる祖母を見守り涙を流す人々の風景が美しくて神聖で

その光景を涙で霞ませるわけにはいかなかったのかもしれない。

 

 

久々に集まる親戚たち。

いとこはいつの間にか

ほとんどが親になっていた。

 

子供達とamazonプライムを見て遊んで

喉を潰すほど親戚とワイワイ盛り上がった。

 

亡くなるということは寂しいことだけど

日常に擦り切れていたわたしに

明るい場所を提供してくれたことを始め

集まった人それぞれに

何かしら意味のあるタイミングだったと思う。

 

連絡を受けた朝は

雨が何日も続いた東京の空が

"夏の本気"といえるほど

かんかん照りになり、とっても暑かった。

 

後付けはいくらでも出来るだろうし

センシティブなイベントがあれば

感情も高まり何気ないことが意味を持ち出すけれども、

8月23日に祖母が息を引き取った意味を我ながらに噛み締める。

 

今回来ていただいたお坊さんの話によると

遺された家族にも指名があるらしく

わたしたちが善い行いをすれば

故人の『徳』がプラスされて

しっかり成仏できるらしい。

いわゆる『追善供養』というやつです。

 

『徳』ポイントが不足していると

亡くなっても成仏するために

長い月日がかかるし、苦労することになるそうな。

(イニシャルも同じだしTポイントだね)

 

お坊さんの話聞くと

仏教の世界もおもしろいなあと感心しました。

 

子供の頃は

田舎のしきたりてんこ盛りの村総出でやるお葬式しか参加したことなかったものですから

都会のお葬式のスタイリッシュさにも驚き。

 

千葉で行われたお葬式は

大きなホールを区切って

別家族が隣でやっていて

フェスかよ。とびっくり。

 

母が参加した東京のお葬式は

火葬の予約がいっぱいで

2.3日待ってすぐには焼き上げてもらえなかったそう。

 

今回、お葬式はすごくよくしてもらったのだけど

火葬場が

炉に入れる瞬間を見送った後は

ガラス越しに眺める場所が設けてあって

工場見学みたいだった。

 

あと、10個くらい炉が並んでいて

番号が振り分けられているのだけれど

4と9だけなくて、稚拙な頭を振り絞ったところ

多分、死と苦を意味するからだと発見。

混み合った場合の遺族の動き方なんかも

張り紙してあって、流れ作業感がすごかったな。

 

田舎でやるお葬式も

長いし、食べ物の手配まで自分たちだし

お焼香の順番うるさいしで

これまた面倒なのだけれどね…。

 

どっちもデメリットメリットあるね。

 

お葬式終わってからは、

車持ちじゃないわたしのために

イケアとかアウトレットへ家族が連れて行ってくれた。

 

それから数日家族との時間を楽しんで

急なバカンスだったけど息抜きになりました。

 

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この子も中年で、

体も心も丸くなり、今回の帰省では

すごく甘えん坊で、キャリーで寝てしまってた笑

 

長男ゆえ忙しすぎて父が

死に向き合えただろうか心配だったけど

家族の中で1番父を溺愛しているマロンが

しっかり支えていたので安心した。

 

この子の仕事は、生きること。

 

そういえば

9月1日は、子供の自殺が多い日と取り上げられて

SNSでも、

楽々生きられる人たちのエゴが強い投稿を目にするようになった。

 

9月1日 自殺

で検索すると、ほとんどが生きる方法だ。

 

それは、『生きろハラスメント』だとわたしは思う。

 

9月1日だけが死にたいんじゃない。

毎日毎日、この世が地獄で

いっぱいいっぱいになる瞬間が、この日が多いということだ。

 

話題になったから便乗して

救おうとする姿勢も、少し気持ち悪い。

 

"死ぬくらい"なら逃げよう。

って、死の選択をまだ否定してるじゃないか。

 

キリスト教では、

自殺したものは煉獄に落ちる大罪らしいのですが、

仏教の世界では

死に方は、特に問われず

自殺を禁ずることを断言したものはないのだそう。

(うろ覚えなので不確か。すみません、後でしっかり調べます)

 

神様だって意見が分かれるのに

"死ぬくらいなら"なんて人間が判断することではないよ。。

 

まあ、仏教的には

徳ポイントないと次の世界へ行かないらしいし

頑張って死んでも現世をうろうろするなら

ちょっと本末転倒な気もするので

ポイント貯めてから、逝ったほうがいいかもね。

 

でも大丈夫。

困ったら、わたしの徳を持っていってもよいです。

 

生活に合わなくなった家を引っ越すみたいにさ

現世から移り住んでも、まあいいよね。